今から凡そ四百余年の昔徳川家康公が本能寺の変の難を避ける際、道案内等で世話になった佃村の人々に、江戸に土地を与えて住居を許可した所が中央区湊(みなと)界隈ですが、「いづみや」はその鉄砲洲に看板を掲げた酒問屋でした。
以来江戸・明治・大正を経て昭和に及び、戦後の昭和22年、焼野原のこの地へ場所を移して、その屋号を引き継ぎ看板を守っているのがこの酒所、瓢印の「いづみや」でございます。